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光明院について
歴史
室町初頭の1391年(明徳二年)、
東福寺の塔頭として金山明昶によって創建される。
山門より入ってすぐの、前庭である雲嶺庭には
勝負の守護神「摩利支尊天」が鎮座する。
「虹の苔寺」の異名をとり、苔と砂の見事な調和を見せる主庭、
「波心庭」は、昭和の作庭家・重森三玲の手になる枯山水庭園で、
東福寺方丈庭園とともに昭和十四年につくられた。
方丈庭とは趣を異にする平安式の州浜型庭園である波心庭は、
寺号の光明にちなみ、
大海を表す白砂に浮かぶ三尊石組を基点に、立石が斜線状に並ぶ。
その背後のサツキ、ツツジは大刈込としてダイナミックな雲紋を与えられ、
さらに視線をあげれば茶亭「蘿月庵」の佇まいが目に入る。
禅語「無雲生嶺上 有月落波心」(雲ハ嶺上ニ生ズルコトナク、
月ハ波心ニ落ツルコト有リ)を由来とする蘿月庵は、 昭和三十ニ年の建築。
窓、壁、障子に月のモチーフを抱き、波心の庭から眺めることで
東の空に昇る月を愉しむ仕掛けになっている。
先の摩利支尊天はまた、月に乗る姿で描かれることもあるといい、
寺号である光明から蘿月庵まで一貫した、精緻で巧みなしつらえが
佳景と心の和みをもたらす。
煩悩をしりぞければ、月(仏心)が波に映る。
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